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お客様の旅日記

第4回:遠く忘れ去った日本の故郷のような国・ミャンマー

ペン イメージ画像 M.Y様

期間   2013年4月21日~4月30日 10日間
訪問地  マンダレー・ミングオン・サガイン・モンユワ・パガン・ヤンゴン
同行者  妻(地区ごとにガイドさん・運転手さんをお願いしました)

にぎわうヤンゴンのシュエダゴンパゴダ
にぎわうヤンゴンのシュエダゴンパゴダ

◆ミャンマーはやはり素晴しい国でした
10日間の短い旅でしたが、さまざまなことを感じることができた旅でした。 旅の前に本を読んで、いろいろ感じていたミャンマーでしたが、期待していたとおりの素晴しいミャンマーでした。
有名なシュエダゴンパゴダやパガンはもちろん感動的でしたが、通りがけの街や村の風景も心に強く残りました。また、さまざまな場所でお会いした人々がとても優しく、ミャンマーは、遠く忘れ去った日本の故郷のような国でした。 旅の間には、大好きなミャンマーの人々が、一層幸せになるよう、各所のパゴダ、仏陀にお祈りを捧げました。


◆密林の国?砂漠の国?
1)マンダレーの上空からみた国土は褐色で、碁盤の目のように、パーム椰子ではっきりと区画され、作物や草は見当たらなかった。また、地上を車で走ってみると、40℃をこえる場所なのに、日本の冬景色のように木々は落葉していた。この現象は私にとって大きな驚きであったが、今は乾燥期の終わりで、水不足のため、作物はほとんど無く、多くの木々が葉を落としていたのである。熱帯のミャンマーは密林の国という私の常識が全く通用しなかったことに変に、感動したものです。

2)わかっていたが、毎日とても暑い。日中は、人々がお店の中で、屋台の椅子で、そしてお寺の中でも皆寝そべっているのが見える。そういうわけで、我々も1時から4時までホテルに帰りグッスリ休みました。

作物も草もない砂漠のような、乾燥期の畑
作物も草もない砂漠のような、乾燥期の畑
背中に瘤のある作業中の立派な牛
背中に瘤のある作業中の立派な牛


◆観光の目玉はパゴダ

1)ヤンゴンのシュエダゴンパゴダ・スーレーパゴダ・そしてパガンの2000基を超えるパゴダ群は壮観。いずれも世界遺産に登録の申し込みをしたが、過剰な修復や、軍事政権が影響して、現時点で未登録です。しかし、数年の内に必ず登録されることでしょう。

2)ヤンゴンのパゴダはとても大きく金色に光輝き、そして宝石で飾られている。一見ディズニーランド風と言えなくもないが、ミャンマーの人たちがパゴダを大切に思うとこのような様式になるのではないかと思う。

3)パガンにある一望千里を埋め尽くしたパゴダ群にはとても感激しました。2000基を超えるというが、往時には5000基もあったそうである。しかし、そのために経済は疲弊し、他国の侵入をゆるしたという。そこまでに入れ込んだパゴダ信仰に驚き!!??です。なお、パガンのパゴダはほとんどが、レンガでつくられており、形も美しい。日本人好みと言って良いでしょう。

4)お寺の境内に入る際には裸足になるのが決まりです。寺の観光がほとんどですから毎日足は真っ黒。そのうえ床がきれいとは言い難い。太陽熱で床が非常に熱いときているので、最初のうちは、妻は、つま先立ちで、タコ踊りをしていました。

ホッパ山の溶岩ドームの上にあるタウン・カラット スーレー・パヤー
ホッパ山の溶岩ドームの上にあるタウン・カラット。手前に火炎樹 スーレー・パヤー
パガンの遺跡群 ヤンゴン・シェダゴン・パヤー
パガンの遺跡群 ヤンゴン・シェダゴン・パヤー
パガン・アーナンダ寺院 パガン・シュエジーゴン・パヤー
パガン・アーナンダ寺院 パガン・シュエジーゴン・パヤー

 

◆これが仏様なの?
1)信仰の対象はパゴダ(釈迦の髪や骨・爪を納める)とその周囲に収めた仏像です。仏像の前に多くの人たちが座って御経を熱心に唱えている。おもしろいのは、その傍で横になって暑さをしのいでいる人もいます。

2)ミャンマーの仏像は、金ピカで重要なものは、金泊でおおわれています。白い肌の仏像も多いが、それらは、目はくっきりと大きく、まつ毛も長いふっくらとした美人タイプです。仏様の光背にはネオンが取り付けられ、仏様の御顔から七色の光が発せられています。日本の仏様には考えられないことです。停電の時、仏様は法力を失なうんでしょうか。

3)涅槃仏(寝釈迦)も多く、各所で参拝することができました。大きな仏像は、100mをはるかにこえます。日本では見たことはありませんが、なぜ寝ているのでしょうか。暑い時は横になるという、熱帯の人たちの習慣かと日本に帰ってから思いついたのですが、いかがでしょうか。寝ているお釈迦さまに、つい親しみを感じ自然と手を合わせました。

4)なぜか鎌倉の大仏様が皆さんに有名でした。また、その写真が各所のお寺にも展示さていました。ちなみに奈良の大仏様は全く無名で、その写真もみかけませんでした。不思議ですね。
涅槃仏(寝釈迦)
とても暑いので、大きな仏像を一人占め(全長111m)
お釈迦様に金箔を貼る。なお、このスペースは女人禁制 光背がネオンに輝くお釈迦様
お釈迦様に金箔を貼る。なお、このスペースは女人禁制 光背がネオンに輝くお釈迦様
全長70mの寝仏、多くの人がお祈りを捧げている マントを着た仏様
全長70mの寝仏、多くの人がお祈りを捧げている マントを着た仏様
ホッパ山の神様達 ポーウイン山の仏様と
ホッパ山の神様達 ポーウイン山の仏様と

◆これほどに信仰の深い国があるでしょうか
1)国民の信仰は厚く、ガイドさん達は皆、御坊さんになった経験がある。そして、時間があれば、また御坊さんに戻りたいという。

2)信仰の原点は、輪廻転生の世界から涅槃の世界へと生れ変わり、永遠の安寧を得ることにあり、日本の仏教にある祖先崇拝はないもよう。ちなみに、御墓や、祖先をまつる仏壇はなく、家庭には、釈迦像を祭ります。(訪れた新婚カップルの家では唯一の家具(?)といえるものが写真の仏像と花を飾る台でした。)

3)お寺に行く時は線香ではなく、お花を持っていく。路方の多くの場所に花やさんがあるが、これは、あくまでも御釈迦様のためのもので、部屋を飾るものではありません。

4)貧しいにも関わらず、民衆が寄進する金額は、とても多く収入の30%にものぼるそうだ。

5)十二支信仰が東アジアにあるが、ミャンマーには、8曜日信仰があるという。曜日が一日多いのは、水曜日が午前と午後に分かれるからだそうです。それぞれの曜日に聖なる動物がいて、ちなみに、妻はライオン(火曜日)で、私は地中を這いまわる可哀そうな、モグラ(金曜日)です。私たちは、祈りの正しい作法をお坊様に教えていただき、それぞれの神様にお願いごとをしました。

托鉢に行く小僧さん 僧院での食事準備風景
写真上:僧院での食事準備風景
写真左:托鉢に行く小僧さん
   
お祈りをする敬虔な仏教徒 モグラとその神様にお祈りをする
お祈りをする敬虔な仏教徒 モグラとその神様にお祈りをする

◆やさしくて親しみのある国民性

1)「アーロン収容所(会田雄二)」という本に、最も日本人に体、顔が似ている民族はビルマ(ミャンマー)族であり、また性格が似ているのもそうであると書かれています。高校生の時に担任の先生から勧められたこの本を何度か読み、ずっとミャンマーを訪問したいと思っていましたが、やはり、期待したとおり日本人に良く似た国民でした。ただ、現代の日本人は少し方向を変えてしまい、心や生活が西洋風に変わってしまったような気がします。

2)優しくて、シャイで、笑顔をたたえた民族、そして仏様と家族を大事にする民族。これほど日本人と心が通う民族は他には無いのではないかと思う。こんなミャンマー人を日本人は大好きであるが、幸いなことに、これは、日本人の片思いではなく、ありがたいことにミャンマーの人たちも同様に思ってくださっているように今回の旅全体をとおして思えました。

3)彼らは、ミャンマーには悪人はいないという。確かに地方のお寺では、たくさんのお札が、無造作にザルの上にのせられて、御釈迦様に寄進されている。監視する人がいないのだ。

◆貧しくても幸福であるということ
1)一般的に国民はとても貧しい。特に田舎の人たちの生活は、今の日本人には、まずできないであろう。電気はない、水は川から人力で運んでくる原始の生活である。

2)しかし、衣服は着替え1枚さえあればよい、果物は付近に豊富にある、作物も不自由しない、心は、御釈迦様の言葉に満たされ、それを信じている。

3)だから、訪れた家の人たちは、貧しくても幸せそうで、笑顔で迎えてくれました。貧しいという感覚さえないのではないかと思ってしまう。(以前訪れたインドの下層の人たちは、非常に貧しく、私は友達にはなれなかった。それどころか、私は彼らから拒否されているように思えた)

4)彼らは、「幸せは決してお金では買えないよ」と教えてくれているようであった。そして、これが、仏陀の教えでもあるかのように思えた。

村の風景 メインストリートの舗装はあまり良くない 村の花売り娘 中央の女の子のほっぺたに、葉っぱの形のタナカ
村の風景。メインストリートの舗装はあまり良くない 村の花売り娘。中央の女の子のほっぺたに、葉っぱの形のタナカ

◆地方の民家はこんな建物でした
1)私は建築を職業とし、そしてはるか昔の卒業論文は「青梅の民家」でした。だから、 国内外を問わず、民家に興味をもっています。このため、集落があると車をとめても らい、民家を観察することが、数度に及んだ。

2)一般的に建物は高床式構造をとり、床下は動物の棲家、遊び場になっている。壁は竹をさいて編んだもので、自分で製造することもできるらしい。屋根は切り妻構造で、パーム椰子の葉でおおうことが多い。屋根は毎年葺き返し、壁は3年程度で新しい竹に替えるとのこと。修理も大変であるが、作るのも簡単なようだ。

3)最近の新しい建物にはレンガを壁に使用し、屋根に波型鉄板を使用するものもある。 レンガは少しずつ買い揃えて次の建て替えのため準備する。しかし熱帯の地に鉄板を屋根に使うのは暑さ対策上問題があるし、見た目には、パーム椰子の方が絶対美しいと思うのだが、鉄板を使用することが、モダンらしい。

4)お寺や宮城の屋根などにも波型鉄板で、修理補修されているものがあり、これは興醒めである。是非やめて以前の板葺きに戻してほしい。

高床式 屋根、壁の竹材が美しい 家の内部と若い母親。蚊帳がみられる。隙間風がとおる
   
母親の化粧道具。台の上に顔に塗るタナカの材料がある 写真左上:若いカップル宅の全景。高床式 屋根、壁の竹材が美しい

写真右上:家の内部と若い母親。蚊帳がみられる。隙間風がとおる

写真左:母親の化粧道具。台の上に顔に塗るタナカの材料がある

写真下:右端にトイレ
   

 
◆超中古車
1)車の90%以上が日本製でありしかもトヨタ製の人気が高い。

2)新車は全く無いと言ってもよい。軍事政権により新車の輸入は禁止されていて、中古車は10年以上古いものに限定されているようだ。

3)したがって我々は延べ3台の車を使用したが全て13年から15年の使用歴である。しかし皆磨きこまれており、十分新しく感じました。

4)しかし、利用したタクシーは推定使用歴30年または40年になるのではないか。窓は閉まらない、肘掛に肘を載せたら落っこちるで、運転も含めて危ないことこの上ない。

5)日本には、中古車の展示場があるが、こちらでは、部品の展示場がある。何十年も乗って使えなくなった車は解体されて、今度は部品として、使用される。

6)日本にある車検制度はないそうだ。道路の舗装はがたがたで、工事中の現場を通りかかったが、全て人力で工事されており、ロードローラーなどの機械はなく、すぐ道路が痛むのは当たり前である。アメリカに行ったときも、日本の舗装道路の品質は世界一と感じました。

田舎の道路風景
田舎の道路風景
車のパーツ屋さん 
車のパーツ屋さん このような店が数十件並んでいた

◆慰霊碑に涙
1)ミャンマーでは、19万人もの日本人将兵が亡くなっている。このため、多くの慰霊場があるが、そのうち2か所の、慰霊塔、慰霊碑に参拝することができた。インパール作戦など無謀な戦いに若い命を失った若い将兵を偲んでいると、涙が流れてきた。

2)戦友たちがすでに高齢になっており、これらの慰霊碑の管理は今後どうなるのであろうかと心配になった。
日本人将兵慰霊塔
日本人将兵慰霊塔
日本人将兵慰霊碑。戦いに散った他国の人たちの慰霊碑も並んで祭られていました。
日本人将兵慰霊碑。戦いに散った他国の人たちの慰霊碑も並んで祭られていました。
 
◆ホテルの様子
マンダレーのホテル
マンダレーのホテルの様子 1年に2倍も宿泊費上昇
1)ヤンゴンのホテルは良かったがその他はあまりいただけなかった。これから発展する国にきたのだから、観光者である我々は多少我慢も必要でしょう。

2)しかし、1日に何度も停電するのは問題である。スーチーさんが、日本に来て嵐山の小規模発電所を見学した理由が良くわかる。でも、コンピューターで仕事中の停電はさぞ困ることでしょうね。

3)ホテル従業員は、皆さん親切・笑顔で好ましかった。
   
 
◆甘いマンゴとおいしい食事に満足
1)スーパーマーケットが無い代わりに市場がとても盛んで、野菜屋さん、果物屋さん、屋台などが入り乱れて並んでいました。

2)これからがマンゴの季節です。日本では高くて買えないマンゴを市場で、たくさん買い、ホテルで冷やして、むしゃぶりついた。(1個50円) パパイア・バナナ・パイナップル等も多かった。ドリアンは大変臭うので、ホテルに持ち帰ることはできないということで、路上で食べたが私も妻も口にあわない。周囲に居あわせたオバチャンが脇から手を出して食べ、残りはガイドさんが家に持ち帰った。(1個400円)

3)屋台での食事がごく一般的のようであるが、埃やハエで、日本人には適さないであろう。でも一度はトライすべきだったかも。

4)ミャンマー料理の特徴は、ピーナッツ油の多いカレー風味料理ということで、口にあうか心配していたが、日本人の好みにはあうようだ。ただ私たちが行ったレストランは外人用で、油の量は調整して少なくしているとのこと。飲み物とも一食500円程度で食べられます。

5)ガイドさんのお姉さんが経営する喫茶店(と彼らは言う)で食べたモヒンガー(スパイシーな素麺)はおいしく、100円でした。

ミャンマー料理の品々 ミャンマー料理の品々
   
パガンの市場

写真左上:ミャンマー料理の品々、サーブするウエイトレスの多さにビックリ

写真上:同じくミャンマー料理

写真左:パガンの市場

   
市場の魚屋さん
市場の魚屋さん
露天でドリアン販売
露天でドリアン販売
   

◆出会った人々
1)ミャンマーにある韓国大使館に勤務する若者
往きの飛行機でハノイまで隣りに座った29歳の韓国人男性と話しました。彼は学生時代にミャンマーに留学、軍隊生活の後にミャンマーの韓国大使館に現在勤務しているという。数年したら、国へ帰り婚活、その後ミャンマーと韓国の間で企業をたちあげたいと云う明確な計画をもつ人で、最近の日本人にはいないような若者でした。けれどミャンマーでの生活は好ましいものではなく、永住生活はやはり自分の国が良いとを言っていました。

2)ガイドの3人の日本語勉強法

  • Wさん:お爺さんが日本軍と行動していたので、日本語ができるそのお爺さんから手ほどきをうけました。
  • Cさん:独学であり、学校に行き学んだことはない。とても私たちには考えられませんね。
  • Tさん:数年間、日本に仕事をするため滞在し、日本語を学んだ
    皆さんが努力の人であり、恵まれた環境にある日本人は見習わなくてはならない。
3)マンダレー~モンユワの運転手さん
この人のサービスは満点でした。我々が政府高官であるかのような、車の乗降の際の 手助け、足の清掃用のウエットティシューのサービス、適時の冷たい水の提供、観光から我々が戻るのを見て、瞬時に配車などサービス精神にあふれていました。そして、彼の友人の結婚式への参加まで私たちに経験させてくれました。

4)シュエダゴンパゴダで会ったお坊さん
昼間に訪れたシュエダゴンパゴダは壮観であったが、ライトアップされた夜のシュエダゴンパゴダも見たくて、再訪した。黄金のパゴダが真っ黒な闇に浮かびあがりとてもきれいでした。日曜日であったせいか、昼間よりも多くの信者であふれていて、熱心にお祈りをしたり、涼しい夜を楽しんでいるようでした。
すると40代と思われる御坊さんに日本語で話しかけられた。彼は近郊の御坊さんで、しばしば、ここにお祈りにくるとのことであった。それから彼が得意な英語で2時間も我々のガイドをし、お寺の生活の話などをしてくださった。
パゴダの天辺にある大きないくつもの宝石、それらが照明によってさまざまな色に輝くのですが、それは見る人の立つ位置が15cmほど変わるともう見えないのです。そのような場所を何か所も教えてくれました。御坊さんは、何度もここに来て、手をあわせて、参拝しているうちにその場所をみつけたそうです。
3歳で寺に入り、厳しい修行をし、睡眠は毎日2.5時間だそうです。あまりにも短いので、聞き返したので間違いありません。英語はお布施を集めてそのお金で学校に行き学んだそうです。今度は3カ月の日本語集中講習をうけるべく、準備中だそうです。最後にその御坊さんにわずかなお布施をしましたら、御経を唱えながら、受け取ってくださいました。

たくさんの仏様の前で長時間説教をしてくださった御坊様 写真左:たくさんの仏様の前で長時間説教をしてくださった御坊様
   
◆一度の旅行で、結婚式と葬式に出席
1)運転手さんの友達の結婚式に急遽出席しました。見知らぬ外国人の出席にもかかわらず新郎新婦は笑顔で迎えてくださいました。結婚式は300人も出席するとのことで、朝早くからお昼頃まで、お客は交代で祝うということです。プロのバンドも入ったホテル結婚式はとても贅沢とのことです。私たちは大変高価と聞いたアイスクリームパフェ(?)をご馳走になりました。私たち夫婦は、逆にカメラやビデオを向けられ映画スターになったようでした。

2)朝6時前より、へたな歌、ピアノそしてイスラム教のアザーンのような大音量の騒音が聞こえてきて目がさめてしまいました。ホテルの窓から覗いていると、群衆が動きだしたので、外に見学に出ると数百人の人が大きな山車をひき、その山車には大きな船が乗り、着飾った女性たち数十名がその船上で櫂を漕ぐ仕草をしていました。何かのお祭りと思って後でガイドさんに聞くと、それは高僧のお葬式ということでした。どうりで、華やかであっても参加者に笑顔は見受けられませんでした。

ドライバーの友人の結婚式に出席させていただきました
ドライバーの友人の結婚式に出席させていただきました
マンダレーの高僧の葬式
マンダレーの高僧の葬式(中央の上部に写真がみられる)
 

◆ミャンマーへの大規模団体旅行がない理由
1)大型観光バスが1台もみられませんでした。せいぜいマイクロバス程度で旅行する現地の参拝観光グループがいただけでした。道路事情が悪いので、大型バスで地方に行くことは不可能で、大型バスは大都市内に限られてしまいます。

2)つまり日本人が好きな便利な団体ツアーは、一部都市を除き、できそうもありません。

3)ホテルの数、グレードもまだ日本人団体ツアーには不適等と思われます。

4)ちなみに世界のどこでもみかける日本人旅行者は、この国では少なくて、ドイツ、フランス、中国、韓国の次あたりだそうです。

◆こんなこともありました。
1)ガイドさんが、イラワジ川の船上で、お茶を出してくれたのですが、まず、お茶を茶碗に注ぎ、自分の指で茶碗をきれいにしてから、何もなかったかのように自然にお茶を注いでだしてくれました。

2)自分の家族が経営する喫茶店(屋台のようなもの)に連れて行き、日本人でも大丈夫かなとつぶやきながら、モヒンガーと甘い紅茶を思い切って出してくれた勇気あるガイドさんがいました。

3)ミャンマーで最高の高さを誇る新しいビルディングは 27階建ての店舗+マンションです。 しかし7年以上たっても上部は完成しておらず、客がきたらその売り上げで、上部の工事をするそうです。

4)ミャンマーには銀行預金や保険制度が発展していません。 政権を信用しないので、たまったお金は、金や宝石に変え蓄えるそうです。また自動車事故が発生した場合はお互いが話し合って保障金額等を決めるということでした。

5)今回は私の足の状況が悪いので、杖を使用しました。車の乗りおり、階段の昇降に運転手さんとガイドさんは、とても気をつかってくれた。そして、お寺の中では2度ほど女性が手をとってリードしてくれました。日本では経験のないことでした。

6)一般のミャンマー人は小学校から英語を学んでいるということですが、驚いたことにミャンマー人は日本人より英語が苦手でした。我々より英語が苦手な国民がいたとは驚きでしたが、彼らのシャイな性格によるものであったかもしれません。

7)昨夜、風が少し強かったと思っていたら、翌日の昼に訪れたレストランの一棟が倒壊していました。非常に風に弱い建物構造になっていて、風速15m/sでも十分に倒壊する危険があるとおもわれました。

8)ミャンマーでは小学生程度の子供が立派な労働者でした。レストランのウエイター・ 刺繍作業・仏像鋳造メーカーでの外殻落としで立派に働いていました。それは、貧しさの象徴でもありました。

   
鋳造した仏像のバリ取りをする男の子
鋳造した仏像のバリ取りをする男の子
糸を紡ぐ女の子
糸を紡ぐ女の子。昔、近所のお婆さんが縁側でしていました。
   
インワの観光馬車。
インワの観光馬車。この時期1日に1回でもこの仕事が出来れば良いとのこと
刺繍の共同作業
刺繍の共同作業
   

◆おわりに
今回の旅行は、私の個人的興味から始まった個人旅行でしたが、とても充実し、収穫の多い旅でした。歴史施設・宗教施設・景色だけでなく皆さんの日常生活からも、様々なことを学ぶことができた旅でした。現代のミャンマーはそのような楽しみがあるとても素晴しい国でした。
そんな旅ができたのは、ミャンマーの人たちがもっていて、他の国にない、たぐい稀な国民性によるものと思われます。ミャンマーの未来に幸あれ、万歳。

おわり