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お客様の旅日記

第1回:プノンペン、シェムリアップ、ホーチミンの旅

ペン イメージ画像 吉澤孝一様

 

▲プノンペンの路上にて
2012年1月8日(日) / 成田⇒ホーチミン⇒プノンペン
カンボジア料理を堪能
素敵な旅のスタート

成田を9時半に出発する予定の飛行機が、1時間遅れの10時半離陸。アナウンスでは最後のお客を待っているとのこと。
ホーチミン経由でプノンペンに到着したのは現地時間で4時30分。これは予定通りだ。早速ビザカウンターで、アライバルビザの手続き。事前にピースインツアーのKさんに申請用紙を入手してもらったおかげで、すぐ窓口へ。手続きはいとも簡単で、事務も流れ作業でスピーディー。10分も待たずにビザを取得。
入国審査を終え、空港の外へでると、「ピースインツアー」の標識を掲げる人が正面に。こちらも手を挙げて確認。とその人の横に、映画『僕たちは世界を変えることができない』に現地ガイド役で出演していたガイドさんの顔が。
ホテルに向かう車の中でガイドさんからカンボジアの歴史や本人の話を伺う。彼は1974年生まれ。カンボジアの内戦時代に生まれ、満足な教育も受けられなかったそうだ。弟を大学卒業させてから結婚。4ヶ月前に子供が産まれたという。この国の厳しい現実をいきなり見せられた感じだ。
今日のホテルはプノンペン一の高級ホテル、ラッフルズ。ホテル内はどこも重厚な造り。フランス植民地時代のコロニアル建築というのだろうか。
さて、今夜の夕食ということになり、最初はホテル内でと思っていたがガイドさんにトゥクトゥクで案内してもらうことにする。 6時半にロビーで待ち合わせ。心地よい夜風に吹かれながら町へと繰り出した。今夜は満月らしいが、あいにく月は雲隠れ。  10分ほどで、「フレンズ」というフランスなどの援助で運営されているという職業訓練も兼ねたレストランに到着する。しかしあいにくの満席。しばらく待っていたが、空く気配がなく、5分ほど離れた同系列の店へ。運良く2人席があり、そこに収まる。さっきの店より雰囲気がよい。
カンボジアン・シーフードカレーとお焦げ入り野菜炒め、カンボジアン・アイスのデザートと、クメール・ビール大瓶で、しめて27ドル。ココナツミルクの味が程良くきいていて、とてもおいしかった。なかなか素敵な旅のスタートだった。

▲ホテルの向かいにあった国立大学の駐輪場
2012年1月9日(月) / プノンペン
プノンペン市内観光
ガイドさんから聞くカンボジアの悲劇

日本時間の感覚が消えないのか、朝3時頃には一旦目が覚め、5時には完全に起床。朝食は6時15分にレストランへ。さすが五つ星、メニューも豊富で味も良い。
食事の後ホテル向かいにある、国立大学に散歩に出る。朝早いというのにバイクや車がいっぱいで、学生たちが登校。廊下にいた男子学生に話しかける。授業は7時40分からとか。学生から、どこから来たのか、何で大学に来たのかと聞かれる。片言英語で会話し、記念写真を一緒に撮り、メールアドレスの交換をしてホテルに戻る。とても素朴な人なつこい印象を与える青年たちだった。みんな笑顔が素敵だ。
8時にガイドさんとロビーで待ち合わせ。市内観光に出かける。最初は王宮、そしてバラモン教の銀寺。かなり広い敷地の中にまるでタイのチェンマイにある建築物のような建物が並ぶ。朝ホテルを出るときは少し涼しい感じだったが、王宮内を観光している内に日が昇り気温はどんどん上昇。銀寺では木陰で一休み。
次に向かったのが国立博物館。赤いとても印象的なフランス式の建物。アンコール朝の仏像をはじめカンボジアを代表するような彫像などが多数展示されている。なかでもジャヤバルマン7世の彫像は圧倒的な存在感で見るものに迫ってくる。

次はセントラルマーケット。ドーム式の建物はとてもユニークで立派だが、中のものはごく平凡な物といった感じで、あまり興味を引かなかった。タガメなど日本ではあまり目にしない佃煮風の食べ物にカメラを向け、あまりのしつこさに店員におこられる一幕も。

昼はテラス席のあるカンボジア料理のレストラン。タロイモの焼きそば、空心菜とレモングラス、それに鶏肉などのはいったスープ、デザートにバナナタピオカ。しめて17.5ドル。ただし味は今一つ。

▲ホテルの向かいにあった国立大学の駐輪場


▲キリングフィールドに立つ慰霊塔


▲ツールスレン虐殺博物館にて
午後は、1時半から。最初は市内から15キロほど離れたところにあるキリングフィールド。そこでは、虐殺された人たちが埋められた穴が残っていたり、地面をみると所々にまだ骨の一部が露出していたりして、段々やり切れない気持ちになってしまった。掘り出された頭蓋骨が納められた塔の中には、日本から送られた千羽鶴も飾られていた。

市内に戻って本日最後の場所、ツールスレン博物館。元高校だった施設をポルポト時代に監禁・拷問の場所として使った所だ。拷問の部屋や、独房あと、連行された人たちの顔写真。一年半ほど前に行ったアウシュビッツを思い出させる場所だ。  たった7人の人が生き残り、その内のお二人が施設内の一角で資料の販売などをされていた。とてもやるせない感じがした。そして、見学し終えるとどっと疲れがきた。

ホテルに帰り、シャワーを浴びしばし休憩。6時頃近くの日本料理店へ。歩いて10分弱のところにあるホテルプノンペン内のゼン。久しぶりに信号なしの車道を、止まらず、走らず、戻らずというベトナムで教わった方法で無事横断。ホテルは五つ星、エントランスが立派でロビーもゴージャス。
店ではすしと天ぷら。すし盛り合わせ、かっぱ巻き、ロールすし、天ぷら盛り合わせ、しめて41.5ドル。  歩いてホテルに戻る。大学前では学生たちが暗い中思い思いに円座をくみ、あるグループは食事をし、あるグループは談笑中。なんて健康的な学生たちだろう。

ガイドさんは、コンポンチャム出身。父親は僧侶。ポルポト派に逮捕され13ヶ月間収容所に。告訴した人が自殺したため、自宅に戻ることができたが、収容所のことは未だにあまり語らないという。内戦の間、いつ自宅が戦いの場になるかもしれず、人々はきちんとした家を持とうとせず、大切なものは身につけていつでも移動できるようにしておくという生活だったようだ。またみんながお互いに疑心暗鬼になっていたとも。

ガイドさん一家は、プノンペンの近くなら安全ではという父親の判断で、1986年プノンペンに転居する。ガイドさんは中学生だったため、残り、卒業後1989年プノンペンに出る。父親のつてで日本人の僧侶のいた寺院に住むことになり、そこから高校へ通うことになる。  そこで彼は日本語を学び、1996年ガイドの試験に合格し現在の日本語ガイドへの道に進むことになる。
11年前母親を亡くし、父親は今もプノンペンに健在。姉が妹を、そして彼が弟の面倒を見たということである。
2012年1月10日(火) / プノンペン⇒シェムリアップ
シェムリアップにて
3年ぶりの思いがけない再会

朝ホテルを8時20分に出発、空港へ向かう。車の中でガイドさんから、2009年12月23日、天皇記念日に結婚したという話を聞く。ということは35歳で結婚したということだ。1997年、3ヶ月間の研修を終えて、ガイドの資格を得てガイドとなる。映画に出演したブッティさんとは同期とのこと。ガイドさんは器用なところがあって、人気者であったらしい。貧しかった子供時代に食べた大豆の漬け物の味が、日本の納豆に似ていて、ガイド仲間の中でも、抵抗なく納豆が食べられるのはガイドさんだけだったとか。そんな話を聞きながら、空港へと向かった。

飛行機は定刻通り10時10分に離陸。日本人は私たちだけかと思っていたところ、海外青年協力隊の日本青年2名、カンボジアのガイド1名の3人に会う。彼らはカンボジアで救命の指導のため全国各地を回っているということだ。今回は一週間の日程で、プノンペンとその周辺、シェムリアップを回るという。カンボジアの青年はシェムリアップの青年。カンボジア人とは思えない見事な日本語。爽やか3人組に会い、昨日の観光での疲れが少し和らぐ感じがした。

飛行機は時間より5分ほど早くシェムリアップに到着。なんとそこで私たちを待っていたガイドは3年前初めてシェムリアップを訪れたときのガイドさんであった。思いがけない再会であった。

ホテルで一休みした後、近くの国立博物館に向かう。入場料は一人12ドル、なかなかの値段だ。展示物もなかなか見応えがあり、所々に日本語を含むナレーション入りの映像コーナーなどもあり、展示に工夫がなされてもいた。ただ係員は仲間同士でおしゃべりしたり、携帯電話をしたりと、結構ルーズな感じだったけど。これもカンボジア流か。ホテルに一旦帰り、近くのビュッフェ式レストランで夕食をとる。中華、ベトナム、タイ、カンボジアと、品数豊富で一人12ドル。絹ごし豆腐のようなものまであった。

ホテルのベランダで内庭の夜景を眺めてる内に、間違ってドアの鍵が降りてしまい、ベランダに取り残されるという一幕も。エミさんの「エクスキューズミー」の悲鳴に向かいの部屋の西洋人夫婦が答えてくれ、ホテルの人に連絡してくれた。何とかその彼らの助言で鍵を開けることができたが、冷や汗たらたらのハプニングであった。

▲プリア・カン遺跡


▲バンテアイ・クデイ遺跡

2012年1月11日(水) / シェムリアップ
写真を見せると
「ミー!」
8時ホテルを出発し、ガイドさんとともに、北回りというコースを巡る。プレ・ループ、東メボン、タ・ソム、ニャック・ポアン、そしてプリア・カン。いずれも前回には訪れていない場所だ。どこも見学者は少なく、静かな中、遺跡巡りができた。
プリア・カンでは、崩れ落ちた石の中にある、ジャヤバルマン7世の奥さんとその妹の像が印象的だった。このガイドさん以外は案内しないような場所で、他の人は通り過ぎてしまうような所にあった。
5カ所も周り、かなり疲れたのでホテルで一休み。昼食は持参したカップラーメンとフルーツ、紅茶。午後はフリータイム。午後2時半、行動開始、念のため前回乗ったトゥクトゥクのドライバーの写真を持って出かけた。ドライバー仲間に尋ねてみようと思ったので。
ホテルの前でトゥクトゥクを待っていると、一台のトゥクトゥクが寄ってきた。最初に気がついたのはエミさん。前回より少し太ったようだが、確かに写真の本人。写真をみせると、「ミー!」。なんということだろう。一回で本人と出会うとは。お互いに、「元気?」「君も?」と再会を喜び合う。早速、遺跡巡りに出かけた。   

▲バンテアイ・クデイ遺跡の浮き彫り

今回は、タ・プローム、タ・ケウ、そして、バンテアイ・クデイ。
最初に行ったタ・プロームでは、中国・韓国をはじめとした観光客でごった返すほど。大声でポーズを作っての写真撮影会に辟易。タ・ケウは一変、静かな遺跡、急階段を登った。エミさんは途中で一休み。
最後に訪れたバンテアイ・クデイ遺跡は、思いがけず壁に精密な浮き彫りが残っていて(特に踊り子のテラスの浮き彫りは、その場で踊りを見ているようで見事だった)、おまけに静かな中で出会え、今日の最後を飾ってくれた。
ここは上智大学のティームが発掘修復に関わったところだ。明日はここから出た仏像が収蔵されている博物館に向かう予定。  ホテルに帰る途中、アセアン会議の車を通すため、何度か路肩に駐車を余儀なくされた。ヴィクトリアホテルにも、フィリピンの人たちが泊まっているということだ。
2日後の再会を約して、ドライバーとは分かれたが、気持ちのよい青年と再会できとても充実したフリータイムを過ごすことができた。
夕食は、日本料理店「銀河」、レディースセット、銀河弁当、ビールで、37.5ドル。

▲伝統の森へ向かう途中の道にて


▲伝統の森の施設


▲伝統の森にて

2012年1月12日(木) / シェムリアップ
今回の旅のメイン
伝統の森へ向かう
8時、ガイドさんの迎えを受けて、今回のメインの場所である「伝統の森」へ向かう。

伝統の森へはシェムリアップ市内から18キロ。森本さんとの約束の時間は9時半から10時、18キロの道をなぜそんなに早く出かけるのかと、不思議に思っていたが、行ってみて納得、アンコールトムまでは観光用の快適な道を走ったが、そのあとは、赤土のオフロード、大変なでこぼこ道、車は自転車ほどのスピードで進む。車が通る度にもうもうと土煙がたち、先が見えなくなる。道路の両側の木もほこりを被って、土色になっている。

やっとの思いでたどり着いたのは1時間半後。森本さんの到着が遅れるということで、スタッフのチェターさんが中を案内してくれることに。最初は染色や織りの工程、それぞれのグループに分かれて作業が行われている。森本さんの本にもあるように、子供連れの人や、家族3代にわたって仕事に関わっている人もいる。  作業場を見学した後は、桑の畑や森に植えられた様々な樹木、自給用の菜園などを見学した。広さは約30ヘクタールあるという。

作業場に戻ったのが10時30分頃。森本さんはあと1時間後に戻るということだが、午後の予定も考えて、待たずに帰ることに。
作業場にいた、日本人のMさん(なんでもNPOの関係で以前ここを訪れ、今回は炭を焼くためにゲストハウスに滞在中とか)と記念写真を撮る。
でこぼこ道を帰る途中、偶然、森本さんの車に出会い、挨拶することができた。森本さんは、私たちが午後も伝統の森にいると勘違いされていたようだ。二言三言言葉を交わし、記念写真を一緒にとって別れた。

一旦ホテルに帰って休憩。今日も持ってきたカップヌードルで昼食。一休みしたあと、バンテアイ・クデイから出土した仏像が展示してあるという「プリア・ノロドム・シハヌーク・アンコール博物館」へトゥクトゥクで向かう。往復で6ドル。  
博物館はイオングループの援助で建てられようで2007年の開館。二人以外にお客はなく、職員もたいそう暇そうだった。 上智大学の発掘の成果が展示されていた。昨日訪れた遺跡から発掘されたものということで、一度は見ておきたかったものだ。帰りにホテル前の公園で行われているクラフトフェアを覗いてみた。森本さんの工房からも出展されていたが、織りの精巧さはやはり群を抜いていた。

町を見物の帰り、フットマッサージにより60分コースをお願いした。とても素人ぽっかたが、終わってみると大分足が軽くなっていた。すぐ隣にある「クーレンⅡ」というアプサラダンスを見せるレストランを覗くと、料金がショー込みで一人12ドルとのことで、早速予約、ホテルでシャワーを済ませ、出かけることにした。

6時30分食事開始ということだったが、定時についてみると、もうかなりの人でごった返していた。メニューも豊富で、ショーもそこそこだった。ショーは1時間たっぷり。隣にロシア人グループがいたが、その飲みっぷりには呆気にとられた。6人でウイスキー、ワイン、ウオッカなど飲みまくっていた。

▲ミスターセブンのトゥクトゥクで遺跡へ向かう


▲ミスターセブンのトゥクトゥクで遺跡へ向かう

2012年1月13日(金) / シェムリアップ
ミスターセブンと
アンコール遺跡群へ

朝8時、ミスターセブン(前々日会ったドライバーのニックネーム)のトゥクトゥクで、アンコールワットに向かう。  第一回廊のレリーフから見学を開始する。前回は登れなかった第三回廊にも登る。間近でみる塔の彫像、回廊のところどころ赤みを帯びた色合いなど、そこに立ってみなければ分からない新たな発見があった。
また今回改めて森本右近太夫の墨書を見て、遙か昔この地を訪れた日本人に思いを馳せた。

前回スケッチをした同じ場所から改めてスケッチ。午前中の塔の見え方は、午後のそれとはまた違った。細かな陰影はやはり午後の方が確認しやすい。その後一旦ホテルに戻り午後に備えた。今日も昼食は室内でカップヌードル。現地スーパーで仕入れたものはちょっとスパイシー。

午後2時ホテルを出発。最初はプノン・バケン。頂上からは森の中のアンコールワットや、バライなど360度の眺望が見渡せ、アンコール遺跡を取り巻く熱帯雨林が実感できた。 次は、バイヨン。当時の人々の生活風景を描いたレリーフはとても楽しめた。観世音菩薩の四面塔のあたりは、例によって韓国人・中国人ツアー客でごった返していた。特に冬休み中の韓国人家族連れのツアーが目立った。シェムリアップは今、韓国村のようだ。
最後に修復の終わったバプーオン。ひっそりとした佇まいはほっとするが、レリーフなどはあまり残っていなかった。そこから象のテラスを歩き、ミスターセブンと合流、ホテルに帰った。記念写真を一緒に一枚ずつ撮る。  夕食はホテル内のフレンチレストラン(?)でとったが、味はとてもでないが人には勧められないほどひどかった。デザートも頼まず退席した。2人で70ドル。
2012年1月14日(土) / シェムリアップ⇒ホーチミン
シェムリアップとお別れ
友人の待つホーチミンへ

朝8時にホテルを出発し、空港へ。いよいよシェムリアップともお別れ。すっかり馴染みとなったガイドさんと記念写真を撮り、10時30分発の飛行機へと乗り込む。飛行機は1時間20分のフライト、一年ぶりのホーチミン・タンソニェット国際空港へ定刻11時50分に着く。プノンペン・シェムリアップでは、一面赤土の土地が眼下に広がっていたが、ホーチミンが近づくと、緑豊かな風景、そして高層の建物もあちこちに目立つ、そんな飛行機から見える景色の違いが印象的だった。

空港出口には人がとても多かった。テトを迎えて里帰りする人も多いのかもしれない。 ホテルへは、タクシークーポンを購入しての移動、16万ドン。日本円で500円ほど。タクシーは30分弱でホテルに到着。
ホテルから友人のVくんに電話。彼もこちらに電話したみたいだ。何回か呼び出しのあとやっと電話が通じる。夜6時にホテルロビーで待ち合わせることにする。それまでの間、市内見物と買い物に出かける。両替所でドンに換える。2万円が543万ドン。27.5倍。なかなか単位の切り替えがすぐにはできない。千の位から上で、数字を読む。この訓練が必要だ。

国営百貨店へ向かう道では、テトの準備の飾り付けの最中だ。百貨店ではまず、食料品売場へ。インスタントコーヒーと、お馴染みの豆粉菓子を購入。一旦荷物を預け、孫のみやげを探す。リュックやマスク、そして60万ドンの旅行鞄も衝動買い。

夕食は友人お勧めのベトナム料理店へ。Tさんは、急にお腹を壊してしまい入院したとのこと。病院からわざわざ電話してくれる。水曜日まで入院とのことだ。どうも前日の結婚式の食べ物があたったのでは、とはV君の弁。
少し遅れて、D君がガールフレンドを伴って合流。D君も日本にいた頃より生き生きとして自信に溢れているようだ。
料理はベトナム各地の名物も取りそろえ品数豊富だ。V君お勧めの料理を楽しむ。ビールを飲んで6人で食事をして、日本円で3000円ほど。二人とも再会を約して帰路に就く。テトを迎えて、町の中はイルミネーションが綺麗だった。

▲チョロン地区にて


▲チョロン地区の路上市場


▲ベトナム料理店にて

2012年1月15日(日) / ホーチミン
チョロン地区を歩き、
歴史博物館、オペラハウス、クルーズを楽しむ

ホーチミン2日目。午前中はチョロン地区へ。バス停でバスを待っていると流暢な日本語で話しかけられる。にわか雨の中、立ち話。全くの独学とのことだが、見事な日本語だった。市民劇場近くのおいしいカレー店の情報なども教えてもらった。
チョロン・ビンタイ市場行きのバスは1番、ワンマンカーの新しいバス。料金は1人4000ドン。

市場で降り、露天を見て回る。改めて野菜の種類の多さにびっくり。魚も生きていて、道に飛び出すものまで。鶏も足を縛られて露天に並ぶ。なんとも活気溢れる場だ。
教会にはいると、そこだけ静寂の空間があり、ほっとする。コーラスの練習をやっていた。

布問屋街・文房具街・漢方薬の問屋街など見て回り、孫のみやげを買う。中華系最古の廟、ティエンハウ廟、縁起物なのか赤い紙に金色で字を書いていた。屋根の上を埋め尽くす彫像は見事なものだ。
サータイ市場でV君に教わった調味料を買い、1番バスに乗り戻る。ホテルに帰る途中、ドンコイ通りにできた「フォー24」で食事。なんか少し味が落ちたみたいだ。

ホテルに戻り休憩。午後は歴史博物館へ。昨年来たときよりも入り口部分はかなり綺麗な展示になっていた。今日の午後は時間に余裕があったので、ゆっくり観て回った。一番のお目当ては、オケオ遺跡で発掘されたローマ時代の金のコイン。マルクスアウレリウスの横顔が刻印されている。

いったんホテルに戻り、オペラハウスへ。午後5時開演のショーを見に出かけた。開演前にお客に食べ物や飲み物のサービスがあった。ショーは、劇仕立ての出し物あり、楽器演奏・歌などあり、正味一時間、少し素人っぽいところもあったが、そこそこ楽しめた。ショーの後、劇場近くの日本料理店へ。天ぷら・寿司盛り合わせ・揚げ豆腐・豚の角煮・チーズちくわの揚げ物、そしてビール、しめて80万ドン。
そ のあと、サイゴンリバークルーズ乗り場を目指すが、途中道に迷い最後はタクシーで、その間、休日の夜のバイクの大洪水の中を移動、かなりのスリルだ。何と か船に乗り込み一時間のクルーズへ。乗船代が1人3万ドン、ビールとグレープフルーツジュースで、11万3000ドン。船の中では大音量の音楽、最後の火 を使ったパフォーマンスなど、にぎやかなクルーズだった。しばしホーチミンの夜景を楽しんだ。

▲市民劇場


▲ホーチミン市内・結婚式披露宴会場

2012年1月16日(月) / ホーチミン
ホーチミン最終日
長い旅の終わり

ホーチミン最後の日、ホテルにて日本宛のハガキを書く、中央郵便局から出すためだ。
その後、タクシーで統一会堂へと向かう。17年ぶりの再訪だ。入場料は1人3万ドン。チケットを買って入場すると、アオザイ姿の可愛らしい係員に、「日本語ガイド必要ですか」と呼び止められる。早速お願いすると、2人だけのガイドになってくれた。各部屋の案内を丁寧にしてくれる。17年前と比べると全体的に綺麗になっていた。以前の記憶が全然ない部分もあり、最後の観光もかなりついていた。

次に向かったのが、教会と郵便局。しばし公園で休憩、一枚スケッチもした。郵便局でハガキを出し、(郵送料は3枚で1万1000ドンほど)昼食場所のカレーショップ「ボンベイ」を探す。やっと捜し当て、ビーフカレー・ベジェタブルカレー、それに、チャパティとチャイを頼む。エミさんが心配してたほど辛くはなかった。  ホテルへの帰り道、マッサージの予約を入れ、一旦部屋へ戻り休憩。2時半、エミさんはマッサージ店へ。私は街へスケッチに。人民会堂を噴水の水しぶきを時々浴びながら写生。
マッサージ後のエミさんは生き返ったよう、足取りも軽く国営百貨店へ最後の買い物へ。食料品・マフラー、みやげの小物などを買ってホテルに戻った。

さて長い旅もいよいよ終わり、荷物をまとめチェックアウト。最後の夕食場所「タンニエン」へ、タクシーで向かう。運転手が変なところで降ろしたせいで、かなり苦労して店にたどり着く。ビュッフェスタイルの大衆食堂といった感じ。最後の食事をばっちり決めたかったエミさんはちょっと不満そうだったが、ガイドブック紹介の店なんて、得てしてこんなもんかも知れない。
タクシーでオペラハウスまで戻り、ドンコイ通りを最後の夜の散歩としゃれ込む。
ホテル5階のラウンジで出発までの時間を過ごす。9時30分タクシーで空港へ向かった。