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写真家・足立君江さんご紹介




足立君江さん昨年末に催行された『写真家・足立君江さんと行く!カンボジア撮影ツアー』に添乗員として同行致しました。ツアーは大成功に終わり、ご参加された皆様にもご満足いただけたかと思っています。おかげさまで今年も第2弾を企画するに至り、現在ご参加者を募っております。
私が足立君江さんに初めてお会いしたのは、20代のとき。スナーダイ・クマエ孤児院で日本語教師をしていた2001年、孤児院代表のメアス博子さんにご紹介いただきました。第一印象は、なんて優しいオーラをもった方なのだろう!・・・毎年カンボジアへいらっしゃる度に、博子さんとともにお食事に誘っていただき、色々なお話を伺いました。時には悩みを打ち明け、的確なアドバイスをいただきました。そんな素敵な足立さんと、今こうしてお仕事をさせていただけるのは、私にとってはとても幸せなことです。最近、写真家としての足立君江さんを改めて深く知り、また新たな魅力を発見しています。

そんな彼女について、一人でも多くの方に知っていただきたくて、2時間に及ぶインタビューを行い、それを基にして、写真家・足立君江さんについて書かせていただきました。ぜひ皆様にお読みいただき、彼女の魅力に触れていただきたいです。


2013年6月 カンボジア担当:佐々木 愛





高校卒業後、某会社に就職。いろいろな部署を経て、顧客の要望に応じたテレホンカードの営業、デザインという内容の仕事をすることになった。
子どもも中学校へ行くようになり、ひとまず一段落した40代中ごろは、ゴルフをはじめ、水泳、卓球、生け花、陶芸など、土日をいかして趣味を楽しんでいたという。社内の研修でカラーコーディネイト講座があった。テレホンカードのデザインをつくるという仕事では、写真をみたりする機会が多く、色の配置を学ぶことはとてもよい勉強になったという。

また、OL時代には休みのたびに友人と一緒にヨーロッパ方面に観光旅行に出かけるのが楽しみだった。ゴールデンウィークなどのまとまった連休には、毎年必ずツアーに申し込んでいた。ちょっぴり立ち寄りも含めると、行っていない国がないというほどヨーロッパには足を運んだ。その時にはじめて持って行ったのは、キャノンのコンパクトカメラ。その後、すぐに一眼レフに切り替えた。写真を本格的に撮るというわけではなかったが、旅行先で出会った風景や人々を撮影し、撮りだめをしていた。

そんな時、「女性の地位を向上させよう!」という会社の施策がはじまり、女性たちに意見を求められた。そこで、同僚とともに「写真サークルをつくるのはどうか?」という声を上げた。こうして足立さんは、会社内の写真クラブ発足の立ち上げ役を担うことになった。同僚のなかに 、現在は日本写真作家協会の会員である水田稔氏がいたので、彼に講師を頼むことにした。

はじめは女性のみで始めた写真サークルだったが、後に男性も加わり、会社の写真サークルとして認められることになった。他にもいろいろな趣味があったのに、どうして写真だったのか・・・?
その理由として考えられるのは、会社周辺の環境。会社のそばにニコンサロンやペンタックスサロンがあったので、昼休みには年中のぞいていた。また、写真仲間にたくさんいい写真を見せてもらえたのもよかった。
その頃から会社外の写真サークルにも顔を出すようになった。モノクロをやりたい!と思ったのも、昼休みに鑑賞した写真展がきっかけ。ねむの木学園、「宮城まりこさんと子どもたち」の写真展、中村太郎氏の作品を見て、感銘を受けたという。その後に鑑賞したドキュメンタリー写真にも影響を受けた。そのことは、後にドキュメンタリー写真を専門にした「現代写真研究所」の講座を受けるきっかけにもなった。
また、テレホンカードのデザインを考案する・・・という仕事内容も、写真をはじめるのに大きく影響している。カードのデザインにしてほしい!と顧客が持ち込む写真をよく見ていた・・・という環境に、「自分で撮り始める土台があったのかな?」と、今になって思うそうだ。



会社で写真クラブをはじめてから、どんどん写真にのめりこんでいった足立さん。サークルの講師や仲間とともに、会社の同僚をモデルにして、屋外での撮影会もした。
そんな折、ある写真展で「写真もあなたの言葉です」という現代写真研究所のパンフレットに書かれた文言を見て、私は今まで何を撮ってきたのだろう?観光旅行で訪ねたヨーロッパで、美しいところを切り取っただけのきれいな写真。これでいいのかな?と足立さんは疑問に思った。
「早く違うことをやりたい」「これだ!と感じた写真を本格的に始めたい」このままじゃいけない!と思い、「清水の舞台から飛び降りる」思いで退職を決意した。



1999年、モノクロ専門の写真学校「現代写真研究所」に通学。基礎科1年、本科2年の3年間。
「写真もあなたの言葉です」というパンフレットのキャッチコピーに惹かれたのもあるが、写真というものを基礎からしっかりと学びたくて入学を決意した。クラスメイトは個性的な方たちばかりで、とても刺激を受けた。会社内の写真サークルで撮影活動はしていたが、仕事半分・サークル半分なので、いい加減にやっていた。当然のことながら仕事優先なので、写真は趣味でやっている感じだった。
それに比べて、現代写真研究所(現研)はおもしろかった。ひとクラス35名のすし詰め状態で2クラス。クラスメイトの中には社会派の写真をテーマとする人も多かった。昼間は写真を撮って、夜は勉強をするという日々。基礎的な「現像」や「プリント」から教えてもらえるという内容が私にあっていたんだろうね・・・と、足立さんはふりかえる。

現研に入った1999年の6月に開催した写真展「葡萄牙5月の街角」は、旅行で足を運んだヨーロッパの写真を展示したものだった。現研で学ぶ以前は、観光名所で美しい写真を撮ったり、自分たちの記念写真を撮ったりしていたが、この写真展を開催した時には、美しい風景や自分よりも「ポルトガルという国はどんなところなのか?を伝えたい!」という気持ちに近づいていた。この頃、足立さんは、「ヨーロッパ大好き人間です」と公言していたそうだ。



写真を好きになる条件はそろっていたが、足を運んだ写真展でドキュメンタリー写真を見るうちに、モノクロに惹かれるようになった。
世のなか、見るものすべてに色がついている。全部で30,000色以上の色に囲まれて生活しているのだが、モノクロを学び始めてから、白と黒の2色・・・というのが、ものすごく新鮮に思えてきた。想像力をかきたてられるモノクロの世界にはまっていった。
例えば、白は白でもいろいろな白がある。この黒はグレーかな?水色かな?と、想像したり・・・。モノクロを撮り始めてから、村の子どもたちはほとんどモノクロで撮っているという。子どもたちの表情を撮るのはモノクロが合っている…と自分では思う。
一方、アプサラダンスの踊りを練習している光景はカラーで撮影することに決めていたり、雑誌やブログ用にはカラーやデジタルで撮ったり・・・と、今は臨機応変にカメラを変えて撮影している。

「モノクロ写真には、何かを伝えたい!というメッセージがある。ストーリー性があるのもいい。私はモノクロが好きだ。写真を見てくれる人にどういうシーンなのかな?と考えさせるところにモノクロの良さがあるように思う」と語ってくれた。



2000年6月、写真家BAKU斉藤先生の撮影ツアーに参加し、初めてのカンボジアへ。香港へ遊びに行ったことはあったが、買物だけの観光旅行。ほとんど初アジアに等しかった。
カンボジアの歴史については少しだけ勉強したが、その時はあまり詳しくは知らなかった。20人ほどが参加したツアーだったが、中にはBAKU斉藤先生の仲間であるプロの写真家もいた。
はじめて行ったカンボジアでは、とにかく遺跡に感動した。そのなかで、アンコールワットで出会ったワンダラーボーイが忘れられないという。第3回廊の急な階段を上るときに1ドル支払う代わりに荷物を持ってくれた子どもたち。今とは違って、2000年はまだ木製の階段は設置されていなかったので、そのまま石段を上った。足立さんの荷物を片手に、子どもたちはぴょんぴょん階段を上っていった。
また、ゴミを集める子や、必死に物売りをする子どもが印象的だった。ドキュメンタリーの写真学校に通い始めて、ヨーロッパとは全然違う世界にはじめて足を運んだ。アジアの様子は、テレビで見たり、本で読んだりしていたので、頭のなかではわかっていたのだが、実際に行って、見て、聞いて、肌で感じると、想像していたのとは全然違った。

この頃は自分のなかでまだ撮影のテーマが決まっていなかったので、カンボジアのただのんびりとした雰囲気と、孤児院にいた子どもたちのことが気になって、また行きたい!と漠然と思った。
はじめてのカンボジアがとてもおもしろかったので、同行した参加者同士で「また行きたいね!」と盛り上がり、同じ年の11月に再訪することになった。11月中旬に開催される水祭りが見てみたい!という単純な理由だった。世界的に貧しいといわれる国の人たちが、どんなお祭りをするのか?に興味があった。何をやっているのか?を見たかった。でも行ってみたら、延期になって結局見られずじまい。

そこで、市場や何気ない町の様子を写真におさめた。市場では、お金を数えている子どもたちや一所懸命に働く女たちを撮った。道路には穴がボコボコ空いていたし、今でも見られる光景だが、荷台に簀巻きにされ、ブーブーと鳴く豚を積むバイクも見た。床屋さんや歯医者さんの店構えもおかしかった。レンガを積んでいる労働者の姿もよくみた。3回目は翌年の2001年6月。はじめてプノンペンへも足を運んだ。トゥール・スレン、王宮など、歴史の跡をみた。そしてシェムリアップではアンコール小児病院に勤めていた赤尾和美さんのお話を聞いた。



2001年11月、1年間で3度足を運んだカンボジアへ、ひとりで行くことにした。スナーダイ・クマエ孤児院の子どもたち、アンコール小児病院の待合室の様子、そこで出会った母子たちが気になって自然と足が向いていた。「まだまだこの国はこれからなんだな・・・。未知の世界に惹かれたのかもしれない」と語る。
ヨーロッパ大好き人間だった足立さんにとって、いわゆるひとつのカルチャーショックだったのかもしれない。のんびり観光旅行をしてきた自分が、現研に通学するようになり、ドキュメンタリー写真を撮っている人たちに影響を受けた。カンボジアへ行った時に、私はこのままでいいのかな?という、漠然としたもうひとつの転換期みたいなものがあったのだと思う。



「やっぱり人が好きだから」と足立さんはいう。人間というのは、本当に人に助けられながら生きている。その国その国によって成長の過程がそれぞれ違うけれど、そこへの関わり方みたいなものは、カンボジアでたくさん勉強した。
ヨーロッパに行って偉そうにしていた自分ではなくて、もっと本来の人間を見つめ直す機会をカンボジアにもらった。カンボジアへ行くたびに色々なことを考えさせられ、本来の人間の姿とは何か?というのを自分に問いたくなる。

カンボジアで出会った子どもたち。笑顔の背中に多くの苦しい現実を背負って生きている彼らのことが気になり、愛おしく思えてしかたなかった。
「あの村の子はどうなったかな?病気だったけれど大丈夫かな?そういう出来事のひとつひとつが私をカンボジアに向かわせる原動力になった」と、足立さんはカンボジアへ行き始めてからこれまでの13年間をふりかえる。

2001年、3度目のカンボジア訪問からこれまで、毎年2,3回のペースで13年間。通算30回近くカンボジアに渡航している。
2010年に開催した個展「カンボジア 小さな命たち」―アンコール小児病院待合室―では、小児病院の子どもたちを撮影したが、病院の待合室は「カンボジアの縮図」だと思った。捨てられた子どもたちがいたり、あたまのところに大きなこぶのある子どもが運びこまれてきたり、地雷で体の一部を失った子どももいた。カンボジアに通い続けるうちにテーマが「女たち、子どもたち」に定まった。自分が母であり女であることもテーマ選びの理由になったかもしれない。女性や子どもを訪ねては、毎回お話を伺うことにしている。

カンボジアへ行くたびにいつも思うのは、カンボジアの人たちのハングリー精神。「教科書があって、時間があったら、どうして勉強をしないの?」小児病院の先生たちはそう言う。いつもお世話になっているガイドの子も、夜が明けるまで勉強している。自分の怠惰さが情けなくなると同時に、カンボジアの人たちに尊敬の念を抱く。

 
ご主人は足立さんのカンボジアでの撮影活動にとても協力的。
足立さん曰く、「私は家庭環境がよかった」。足立さんご夫婦は、共働きで子どもふたりを育てた。今は他界してしまったが、歳の離れた実のお姉様は、足立さんが産後に体調を崩した時も、子育てで疲労困憊していた時も、いろいろとめんどうをみてくれたそうだ。

「人間っていうのは、必ず誰かに助けられて生きていけるんだよね・・・。それが私の実感」と、足立さんは語る。ご家族は、足立さんが写真展を開催したり、カンボジアへ渡航するときも、彼女を応援し続けてきた。それが安心感となり、足立さんは自分の決めた道に邁進することができたのだろう。



2000年より現在までの13年間、カンボジアに通い続けている足立さん。国内では、築30年になるログハウスのある安曇野の風景やそこに暮らす人々の撮影をライフワークとしている。
2003年には「畦 燦燦」、2006年には「安曇野歩歩記」という2冊の写真集を出版。安曇野に通うたびに「ここの人たちは、自然を自分たちの生きがいにして生活している」と感じるという。
「生まれたときから自然が先にある。人間は、自然の恩恵を受けたり、被害を受けたりしながら、生かされてきたのではないか?人間は自然と共存して生きていかなければならない」そこが、カンボジアにも共通している点のように思う・・・と足立さんは語る。




「今はどういう気持ちでカンボジアの写真を撮り続けているのですか?」という質問に、「写真を撮ることでカンボジアの現状を伝えたい」と答える足立さん。

「『写真もあなたの言葉です』いつか見たキャッチコピーではないけれど、現状を写真で伝えていく。きれいなもの、幸せなものだけを撮っていてもその国は良くならない。本当なの?という疑問をもって、今のそのままの姿を、写真を通して伝えたい。カンボジアのことを全く知らない人が見てどのように感じるか?遺跡はすばらしい 自然も美しい という国であってもこういう子どもたちが存在するのだ…ということを、多くの人たちに知ってもらいたいと思い、撮影しているんです」
30回近くカンボジアに足を運んでいて、足立さんはいつもカンボジアの人たちにたくさんのことを教えられるそうだ。そのなかでも『みんな戦争が悪い』という地雷の被害者の家族のお母さんが言った言葉が忘れられないという。
「たとえ国を助けるような戦いであっても、ひとたび争いを起こすと、犠牲になるのは兵隊だけじゃない。女性であったり、子どもであったり、末端のところにしわ寄せがくる。カンボジアのように国全体が損失をうけるような内戦で、大切なものを失った人たちが立ち上がるのはものすごく大変なこと。一回失ったものを取り戻すのは並大抵のことではない。発展するときは必ず町のほうから。でもやっぱり村の子どもたちの現状が改善されたり、学校へ行けるようになったりしないと、どんなに立派なホテルが連立し、町がきれいになって発展したとしても、現状は変わらない。私は、その姿を撮っているのだ。」

「今後はどういう気持ちで写真活動をしますか?」という質問には、「写真を通して子どもたちを見守っていきたい」という回答が。
昔、知り合った子どもたちが、今どうなっているのかを確かめ、彼らの成長を見守っていきたい。「写真家としての道」自分のやりたいことはこれだ!と思い、第二の人生をはじめた時点で、それをし続けることが自分の楽しみでもあるという。

「健康が続くかぎり、カンボジアの女性や子どもたちを見守っていきたい。ドキュメンタリーの部分を重視したい!」アプサラダンスを練習する踊り子さんたちの姿を撮影し続けているが、伝統舞踊の継承というテーマではなくて、彼や彼女たちが練習している村での彼らの日常の暮らしなどを撮っていきたい。彼らの成長を追いたい。

「カンボジアの人たちは飾り気がない。だから私もよそよそしくしても仕方ない。彼らと同じところから世界を見たい。」足立さんは、カンボジアの女性や子どもたちと同じ目線でこれからも関わっていきたいという。

>> 『写真家・足立君江さんと行く!カンボジア撮影ツアー2015』へもどる

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2017.10.21

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